日々の泡

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【ネタバレ】「君の名は。」は震災で引き裂かれた恋人たちの物語。

 

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本エントリーは「君の名は。」のネタバレ記事となります。

まだ観てない人は注意してください。

 

 

 

 

 

キスもせず、手もつながないのは「君の名は。」が「インターネット恋愛」を描いているから。

恋愛映画だと思って見に行ったら、隕石が落ちて、登場人物の大半が死ぬという度肝をぬく展開だった大ヒットアニメ映画「君の名は。」ですが、なんと手も握らなければ、キスもしません。
なぜ、キスもせず、手もつながないのか、「君の名は。」が「インターネット恋愛」もとい「メディアを通じた恋」を描いている

 

 他人の生活を覗いて、疑似体験しているうちに好きになってしまう。

相手の日記とか、ツイッターとか、考え方とか、ショックを受けたこと、嬉しかったことなどを読んでいると、相手への親近感が増していきます。

今回、二人が恋をする決定的なシーンや、エピソードというのはありません。
お互いの悩みや、生活などを日々を共有していくうちにだんだんとお互いのことを詳しくなって、カウンセリングにおける「恋愛性転移」に近い感じで好きになっていきます。

 

「体の入れ替わり」は「インターネット」の役割をしている。

君の名は。」では体が入れ替わることで、相手の生活を覗くことができます。

体の入れ替わりがインターネットだというポイントは、この入れ替わりが、リアルな夢であり、目が覚めると、どんどん忘れていってしまうという設定。

夢の中では当然のように知っている相手の名前や、通学している学校名、家の住所なども目が覚めた途端、どんどん忘れていってしまいます。

この設定のおかげで、インターネットで相手の日記を読み、その日、何が起きたか、相手がなにを思ったのかは知っているけど、書かれていない詳しい情報についてはわからない、というインターネット特有の距離感が表現できてます。

 

ふたりのやりとりは、すべて携帯電話を通している。

体が入れ替わっている状態というのは、相手のコンテンツを見ている状態。
つまり、日記とか画像投稿を読んでいる状態と似ています。

そのあと、携帯での情報交換は、そのコンテンツを元にしたコミニュケーション、つまり、お互いの日記や画像などの感想をメールに近い形で、文章でのコミニュケーションをしあっています。

 

はじめての「好きだ」という告白も「文字」で行う徹底さ

お互いがはじめて出会ったとき、目の前にいるのに、わざわざ相手の手に「好きだ」と『文字』で告白するシーンがあります。

「ここまできたんだから、直接いえよ!」と思わずつっこみそうになりましたが、でも、このわずらわしさこそ「インターネット恋愛」とか「文通」とかのプラトニックな恋愛の奥ゆかしさであり、これこそが秒速5センチメートルなどでも顕著になった監督のフェチズムなんだと思います。

 

少ないネットの情報から相手の住所を特定させるストーカー行為

体の入れ替わりがなくなって、相手との連絡が途絶えてしまうのは、
インターネットでいうと日記の更新がとまり、メールのやりとりもとれなくなった状態というのと同じです。

そこで主人公はうろ覚えな記憶で、夢の中でみた風景をデッサンして、その絵を頼りにして彼女の身元を探っていくのですが、

これは過去ログを漁り、相手がアップロードした画素数の荒い風景写真一枚を頼りに相手の住所を特定させる行為に相当してます。

なので、結構気持ち悪い行為なんですが、物語が進むと、実は彼女のほうが先に相手の家や、学校を探すというストーカー行為をしていたことがわかるので、男性の犯罪臭がちょっと軽減されています。

 

個人がコンテンツになる時代。コンテンツ同士の恋。

つい最近までコンテンツは、コンテンツを作る専門のプロが作ってました。
主だったメディアが紙やテレビやラジオといった有限なメディアであり、貴重なものだったからです。

でも、今はインターネットという無限のメディアがあるので制限がありません。
誰もがコンテンツになれる時代です。

だから、私たち自身がコンテンツとなり、メディアを通してコミニュケーションをとるようになりました。

恋愛についても、コンテンツに直接ふれるより、
むしろ、メディアを通したもののほうが美しくみえて、思春期のときなんかはとくに恋愛に発展しやすいのではないかと思います。

 

いまどきの恋愛はインターネットから避けられない。

最近、男子高校生に恋愛について相談されることがありました。
なんでも、「同じクラスの好きな娘のツイッターアカウントをフォローしてるけど、他の男子生徒と仲良くしてるのがわかってしまってつらい」と言っていて、
いまどきの恋愛は、何もインターネット恋愛ではなく、同級生との恋愛でも、インターネットがからんでくるんだなぁと、時代の流れを感じました。

 

わたしもネット恋愛をして、音信不通になった女の子を探したことがある。

私は15歳の頃、自分でホームページを作り、インターネットで公開をしていました。
そして、その頃、同じく15歳でホームページを作ってる女の子とインターネットで知り合い、相手のことを猛烈に好きなったことがあります。

しかし、私は15歳にしてフロイト精神分析入門を読んでいたので、この恋愛感情が、お互いの過度な情報共有による一過性のものにすぎないことを理解してもいました。

「今後、高校生、大学生、社会人と、環境が変わっていき、その現実の中で知り合った女の子のことを好きになるだろうし、その子たちと付き合ったほうが健全だから、このインターネットにいる顔もみたことのない女の子については、なるべく相手にしないようにしよう」と恋愛感情を押し殺して毎晩チャットをしたり、頻繁にメールを行っっていました。
具体的にいうと、すごく好きなんだけど、あえて距離を置くような発言をしたり、「インターネットの女には興味ないぜ」とかかっこつけてました。

そんな嫌なやつだったので、無事に音信不通になったのですが、
困ったことに、それから10年たっても彼女より好きだと思える女性は現れないし、彼女への思いも変わることがなかったのです。

 

彼女はもう死んでいた

20歳半ばになっても、今だに彼女が好きだったとき、私は彼女のことを忘れるのを諦めました。

そこでわたしはインターネットで、彼女のフルネームや、今まで聞いた個人情報を思い出しては、色んな検索をして、彼女がいまどこで何をしているのか、連絡する手段はあるのかを調べていきました。
その中で、彼女の友人のブログを発見し、そのブログ記事で彼女が数年前に亡くなったことを知りました。
すごくショックだったし、色んなことをめちゃくちゃ後悔しました。

 

君の名は。」は実際にある話なんじゃないのか。

たとえば、2011年3月11日におきた東日本大震災は、死者15,894人、行方不明者2,562人います。

これだけの人がいたら、インターネットですごい親密な仲だった人が急に連絡がとれなくなって、相手がアップロードした一枚の風景写真を頼りに色々調べてみたら、その風景写真が震災の影響でなくなった風景だと判明して、被害者名簿を調べてみたら相手の名前が載っていた、ということが実際にあっても不思議ではありません。

 

誰とも共有できない悲劇

わたしが彼女が亡くなったと知って一番、ショックだったのは、彼女の葬式に出れなかったことです。

あんだけ仲よかったのに、共通の知り合いとか、現実での接点がないので、葬式にでる資格がないんですね。

すごい好きで、たくさんメールをしたりしたけど、そのやりとも、サービス終了や、携帯や、パソコンの故障などで結構簡単に消えていきます。

大切な人が亡くなったことがわかったけど、共通の知り合いは誰もいないから、話せる相手もいない。

カイ・シデンのミハルとか、南くんの恋人の末路とかにも近いものがあります。


アニメだからできたこと

ネット恋愛の震災による悲劇を、そのままやったら重たくてみれたもんじゃないですが「君の名は。」はこういう実際起こりえる悲劇というのを、うまくアニメ調にアレンジして、コミカルに伝え、その上で、気が遠くなる伏線を回収しつつ、ちゃんとハッピーエンドにまで仕上げてます。

並の人がこの物語を書いたら、たぶん手のひらに「好きだ」と書いたところで、満足して終わっちゃうんじゃないかと思います。

しかし、この映画はそのあと、隕石から全員逃した上に、記憶を全部なくした上で、もう一度、出会うところまで描いてます。

それも最後にコンテンツ同士がメディアを使わず、力づくで現実で再会してます。

この悲劇を覆した「君の名は。」の圧倒的な物語力が、大ヒットの理由になってるのは間違いないと思います。

 

君の名は。」みたいにログを消せることもある。

前述した亡くなった相手については、実はよく調べてみたら、彼女が、自分が死んだ風な嘘のコンテンツをネットに公開していて、それを見た友人が勘違いした、というのが真相で、実際は生きてることがわかりました。

そして、そのあと、なんと相手の方から連絡がきて、私は無事に、愛の告白に成功し、ほんのちょっとだけ付き合ってたこともあります。
(結局、キスもしてないし、手もにぎらないまま破局したんですが)

 

 それでも、人はいつか死ぬ

「好きになったら、とっとと会って、告白しろ」とは言いませんが、照れたり、かっこつけているうちに、もう会えなくなってしまうことって、現実にあるんです。

そして、会えなくなって、それで諦められればいいんですが、それじゃ諦められないってことってのも実際にあって、これは自分では制御不能な部分なんです。

わたしもまあ、結局はそんなにうまく行ってないですが、まずまずはよくやれたほうなんじゃないかと思います。なんといってもまだ生きてます。

だから、映画の最後みたいに、偶然すれ違うことがあって、そのときちゃんと覚えていて、声がかけれたら、きっとそれでいいのだろうと、そんなロマンティックな気持ちにさせてくれた映画「君の名は。」でした。

 

君の名は。 忘れたくない名台詞 31日万年日めくり 2017カレンダー 壁掛け

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