日々の泡

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セルフイメージと、シン・ゴジラと、いま、会いにゆきますと、市川実和子。

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セルフイメージが下がる1日。

セルフイメージとは、簡単にいうと「自分が抱いている人間というイメージの中間点」のことで、人間はだいたい自分のことを、人類の標準だと考える癖があるらしく、

つまるところ、とくに特筆するようなことがなければ「自分は不幸でもなく、幸福でもない」と考え「総合的にみれば、自分は優れてもないが、劣ってもいない」と考えるらしい。

周りにいる人間や、クラスメートや、職場の人間の中間地点、また、これにはテレビのニュースや、ドラマといった虚像が含まれることもある。

良い人ばかり知ってれば、自分も良い人よりになるし、悪い人ばかりみてれば悪い人よりになるけど 、まあ、だいたい人は良い人も悪い人も知ってるので、良いときがあったり、悪いときがあったりする。

 

セルフだけにとどまらず、色んなイメージにも同じことが言える。

たとえば、あなたがシンゴジラをみて「まあまあ、おもしろかった」と思う。

一緒にみた人は「すごくおもしろかった」という、他の友達は「死ぬほどおもしろかった」という。

 

あなたのイメージの中で、シンゴジラ

「死ぬほどおもしろかった」「すごくおもしろかった」「まあまあおもしろかった」がそれぞれ33パーセントくらいで、自分は「まあまあ」しか楽しめなかったけど、文句なしの最高傑作かもしれない映画になる。

 

けど、そこに性格の悪い人がやってきて

「シンゴジラはおもしろくない。あれは低レベルのパクり映画だよ。俺には映画業界の知り合いがいるんだけど、みんなシンゴジラはクソ映画だといっていた。これって映画好きには常識だよ」とあなたに伝える。

すると、それまでシンゴジラは「文句なしの最高傑作」かもしれないというイメージがガラガラと崩れ落ち「映画好きからするとクソ映画だけど、一部の教養のない一般人には人気の高い作品」になってしまう。

 

水を差すひとこと

「セルフイメージをさげる」に近い言葉で、「水を差す」というのがある。

「水を差す」の意味は「仲のいい者どうしや、うまく進行している事などに、わきから邪魔をする」ということだけど、

たとえば、「この本、めっちゃおもしろい!」って言ってる人に対して「その本は◯◯のパクりだよ」とかコメントしたり、「その作者、ファンを食うことで有名なんだよ」といってみたりするのも、水をさす(イメージをさげる)言葉になる。

その情報、必要か?と思うし、ひどい場合は、その水を差した情報が嘘の情報だったりする。そうなるともうただの嫌がらせになってしまう。

 

インターネットや、テレビはそんな情報ばっかり

炎上事件とか、スキャンダルというのはだいたい何かのイメージを下げるもので構成されている。

最近は検証しやすくなった為に、情報の虚偽が指摘されたり、それを指摘するために、対象のイメージをうんとさげてみたり、まあ、混沌としてる。

ニュースメディアの中には価値観を上下させるだけもので、本質が何もない場合もある。

 

私も「水をさす」ことがある。

最近、気づいたけど、私はわざわざつまんない作品の話題をしたり、人の悪口をいったりはしないけど、自分がやりたくないことや、見たくないものを勧められると、その理由をはっきり述べて、拒否することがある。

たとえば「この映画を見てください!」と言われ、それが見たくない映画だと、見たくない理由を3つくらいいって断る。

でも、誘ってきてくれた人は、それが好きだから薦めてくるわけであって、

その映画は「その人の中の最高の作品」だったかもしれない。

なのに、私はそれを見てもないのに「テーマが低俗そうだから見たくない」とか言って断る。

ひどいときは「私はあなたより、映画も小説も漫画もゲームもいろんなジャンルに精通してて、自分の好みをちゃんとよく理解してるからわかるけど、この映画はクソだと思うからみたくない」とか言う。

たぶん、言われた相手からすると、好意から軽く誘っただけなのに、なんかすごい嫌なことを言われて、ひどい気分になると思う。

 

今日のユーモア

togetter.com

 

ちょっと性格の悪い笑いだけど、この炎上ツイートの一連がおもしろかったので、紹介。

まあ、シンゴジラについての個人的感想を漫画で表現したものなんだけど、
この作者がツイートを消して、謝罪を行っても、

「先生、映画の評価はそれぞれだと思いますし、先生がなされた評価に対しても堂々とされているといいと思います!」

とか言われて、削除したはずの画像が再アップされる流れがひどすぎて、笑ってしまった。

 

下手に表現力が高いと大変なことになる

シンゴジラが期待ほどじゃなかったとしても、表現力が普通程度なら「シンゴジラ、期待ほどだけじゃなかった」とつぶやいて終わるのだから、誰のイメージもさげることない。

しかし、この先生みたいにプロ漫画家の表現力があると、上記のツイートのように、表現として凄まじい威力をもち、みんなのイメージを変えてしまう。

変えてしまうからこそ、それを阻止するべく、他の人がよってたかってやっつけにくる、という図式である。

 

いま、会いにゆきます」は「中トロ」なのか

 

いま、会いにゆきます
 

 

最初は「この人、映画をあまりみない人なのかな」と思ったんだけど、「いま、会いにゆきます」と「シン・ゴジラ」には市川実和子が出演してるという共通点があることを思い出した。

どちらも準ヒロインみたいな役どころで、それを市川実和子が見事に演じ切ってるのだけど、「シン・ゴジラ」の市川実和子は、化粧をしてない素朴さが魅力となってる。つまり、素材そのままの白米状態。

対する「いま、会いにゆきます」の市川実和子は、サブキャラクターだけど最終的には主人公の再婚相手になることを匂わせる女性としての魅力がちゃんと備わった役どころになっていて、中トロと呼べなくもない

つまり、藤島じゅん先生の漫画で描かれていた比喩は、映画に対するものではなく、登場する女性キャラクターに向けられたものだったんだよ!!