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日々の泡

いろんなものの習慣付けに使うブログ。ブログ名は頻繁に変わります

好きなもの08「村上春樹」

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村上春樹が好きでもいいじゃないか」
といいわけしたくなるくらい「村上春樹が好き」っていうと反撥をくらう。
一体、なんなんだ!

村上春樹はSF→奇想小説

SFはSFで「SFとは……」という人がでてきてこれまたこっそりやりたくなるのだけど、
SF作家にして、日本古典SF研究科の横田順彌さんは「SFの枠からはみでたSF」について「奇想小説」と呼んでいるそうだ。
村上春樹はまさに奇想小説といった感じの話が多い。

羊をめぐる冒険」は、ひつじの妖怪の話。

羊をめぐる冒険」(ああ、なんていいタイトルだろう)は、羊の妖怪にとりつかれ、メディアをコントロールできる超人(?)となった友人を助ける(?)話。

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

 

 

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はSFとファンタジーが交差する小説。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(ああ、ああ!なんていいタイトルなんだろう)は『システム』という組織に属した架空の「計算士」という特殊な技法をもつ職業の主人公が登場し、「やみくろ」という地下に住む人を食う化け物から逃げ出しながら、自分の中に潜む幻想の世界にとりこまれる話。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

村上春樹を読んでも頭がよくなった気分にはならない

難しいを読むと、自分の頭がよくなった気分になることがあるけど、村上春樹を読んでもそうはならない。
あまり難しい本ではないからだ。
ただ「ねじまき鳥クロニクル」を全巻読んだあとは「こんな分厚い本、誰が読むんだろう」と思っていた品物だったので、完読した自分にちょっと感動した。高校生の頃だった。かわいい。

 

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 

 

村上春樹を読んでも別段ドキドキしない。

別にスペクタルがあったりするわけじゃないし、物語にすごい整合性があるわけでもない。

村上春樹の何がいいのか、よくわかってない。

村上春樹のなにがいいの?」って言われると、すごく困るから「文体がいい」とか、「何冊か読んでいるうちによくなってくる」とか答えてしまう。まあ、それはわたしの表現力が乏しいだけかもしれないけど。

減点されることを書かない作家なのかも

最近はめっきり読んでないし、憶測の域でしかないけど、
強い自己主張がないし、案外まともなことを(正論ではなく)いうので、減点されることがない。
そのわりに、共感性のあることや、小気味のよい表現を良く使うので、減点されるたまにヒットした加点がプラスされていき、村上春樹が好きになるのかも。

品がある文章。

「上品で、優雅」かと言われると、そこまでとは思わないけど、少なくても下品ではない。
下ネタやセックスといった下世話なものを扱ってもまったくエロスを感じない。だから不快に感じることもなかった。
文章に関して、村上春樹のルールがあり、村上春樹はそれを徹底的に行っているようだった。

村上春樹のユーモアが好きだった。

ユーモアを感じることがすごくたくさんあるわけじゃないけど、たまにあるユーモアが好きだった。
村上春樹のユーモアは、何かを傷つけるものではないし、控えめで、気が利いてると感じるものが多かった。
北杜夫とか原田宗典とかもユーモアがあって好きだったけど、それとはまたもっと別種の次元で、村上春樹のユーモアが好きだった。

とくに「中国行きスロウボート」が好き

それぞれの話がどれもそこそこおもしろくて、とくに「シドニーのグリーン・ストリート」がおもしろい。
間の抜けたハードボイルドの感じがいいし、ユーモアがあって、羊男もでてくる。

 

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

 

 

真心ブラザーズ「いらだちの日々」は村上春樹のダンスダンスダンスが元ネタ。

真心ブラザーズファンなら知ってる名曲「いらだちの日々」の歌詞は
村上春樹のダンスダンスダンスの引用がいっぱいある。

ダンスダンスダンスの中には「苛立ちの日々」という単語もあるし、パプロピカソが死ぬまで上り坂だった話もあるし、少女が夢のように美しかったという表現もある。
村上春樹も好きで、真心ブラザーズも好きだった高校生の頃の僕はこの発見をしたとき、すごく興奮した。

 

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

 

 

わたしの文体は村上春樹に強く影響を受けている。

以前の一人称は村上春樹の影響で「僕」だった。
20代が終わりそうになったとき、甘ったるい僕文体を捨てて、わたし文体に切りえた。
今の「わたし文体」は村上春樹の文体に影響を与えたという藤本和子さんの文体が元になっている。

電車の中で「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とか読んでる女の子がいたら、すごく嬉しい気持ちになる。

そんな女の子を見かけたら「こんな娘がいたぞ!すてきだ」と、なんの意味もなくTwitterで報告してしまうかもしれない。
一体なんの性癖なんだろうと思い返してみたら、わたしが十代の頃、初めて付き合った女の子が村上春樹が好きで、彼女の家に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の上巻を置き忘れていったら、全部読み返したらしく、「今度、下巻を持ってきて」と言われたまま、忘れてしまい、そのまま別れ、結局、約束を果たせなかったことが起因しているような気がする。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

 

 

ひさしぶりに僕文体で書いてみる。

最近の僕は尿を飲んでいる。
僕が尿を飲んでいることを誰かに告げるのは、これが初めてだ。
だって、人に言うようなことではないし、不愉快な気持ちになって、僕の元を去っていくやつだっているかもしれない。

僕が尿を飲んでいるのは、僕が弱っているから飲んでいるのであって、なんの問題もなければ尿を飲んだりはしない。
だから、うっかり尿を飲んでいることを口にして、もっと自分が弱ってしまうような事態になることは避けるべきなのだ。

僕を使うと、こんな感じの文になる。ひさしぶりに書くと楽しい。

書いてて、村上春樹を読み返してみる必要があることを感じた。

文体に影響を受けているってことは、わたしのアウトプットに強く影響しているということであって、わたしが「ネットで他人にどう見えているか」という外敵印象に強く関わっているということになる。
つまるところ、わたしは村上春樹製の仮面をかぶって、ネット社会を闊歩していることになるのだから、読み返して、どんな仮面なのかというのを点検してみる必要性を感じた。

やれやれ、僕は射精した。

「やれやれ、僕は射精した」とは村上春樹の小説の中で「やれやれ」という言葉と「射精」という言葉が多用されるので、それを組み合わせた完璧な100%村上春樹な文章。
自由律俳句みたいな味わいのある文章で、インターネットで村上春樹の話題がでると、ついつい書き込んでしまう。やれやれ、僕は射精した。

村上春樹通過儀礼

なんか流行りの音楽以外のものを求めていると、一回はビートルズを通過するように、現代文学を読んでると、大江健三郎ほど面倒くさくなくて、高橋源一郎ほどおちゃらけてなく、いい塩梅のところに村上春樹がいるので一回通過することになる。そして、村上春樹か、いいか、ダメかで、読書の方向性がよくわかるような気がする。
まあ、そんなわけで一度、読んでみるといいかもしれない。

おすすめは「風の歌を聴け」かなぁ。デビュー作なので、いけるか、ダメかはっきりするし、いけたなら鼠3部作の第1作品目なので、結局読むことになるし、お試しにいいのではと思う。比較的短いし。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)