日々の泡

いろんなものの習慣付けに使うブログ。ブログ名は頻繁に変わります

休むと継続が難しくなることについて。

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多くの「良い習慣」とは毎日やるように言われる。
ノート術もそうだし、ダイエットもそうだし、「毎日やることが大切」

でも、毎日はやるのはわりと大変。
この通勤日記も毎日ではない。通勤してない日は休んでいる。
さらに先週は風邪をひいて2日間ほど寝込んだので、4日ほどやってない。

 

恐怖の月曜日

あまり考えないようにしてるけど、月曜日というのは仕事の始まりであり、ツイッターとかでよく見かける「恐怖の月曜日」であることもある。
わたしは4日も休んでしまったので、今日会社いくのは、普段より力がいる。

 

何故、休みあけは特別なのか。

休みの日にまったく違うことをしているから、というのがあげられる。
土日も働いてたら月曜日にはまた違う感情が芽生えていることだろう。

 

坂道を自転車でこぐ

前に瞑想の教室にいったら、毎日瞑想をやるのは大変だけど、毎日やってれば次第に楽になるという。
たとえとして、「自転車も漕ぎ出しはつらいけど、漕ぎ始めればだいぶ楽になる。漕ぎ出しが一番つらいのだ。だから毎日やりましょう」ということらしい。

 

休んだ分、がんばろうとするからつらい

この通勤日記も「なんかおもしろいものを書かなきゃいけない」と思った瞬間に重さを感じた。
休み明けの朝からそんな重たいもの無理だわーと思ったので、今日はこんなテーマ。

 

プールの水みたいなもの

小学生の頃、プールに入った時、最初は水風呂みたいに冷たくて痛かった記憶がある。
でも、それは最初だけで動いているうちにそんなに気にならなくなる。

 

休み明けはなるべく無理しないこと

継続が大切、というより、たぶん今日より明日のほうがより動ける。
大きく休んだときこそ、月曜日は「ならし」くらいに思ってやるのがいいのだろう。

 

なんで、間をあけただけで、こんなにも大変なのか。

謎である。もしかしたら、物理的な距離の他に、なんか実行に関する距離があるのかもしれない。

休むと一旦、自宅に帰ってしまうので、再びやるときに、またその場所へいく余計なコストがかかる。

通勤日記はわたしの記憶の中ではとても楽しいものだった。
自分の思考で自由に遊べる時間だし、自分の興味あることしか書かないから。
けど、今朝は何が距離を感じる。

 

休むと「終わった」と脳が錯覚するとか。

何でもそうだけど終わったものをもう一回やるのは、手間がかかる。
休んだせいで、脳が勝手に片付けを済ませてしまっていて、再びやろうとすると「せっかく片付けたのに!」という感じで拒絶される。

 

ちょっとでもいいから休みの間も継続させる

たとえば、休みの日は過去の通勤日記を読み直してみるとか、いただいた感想に返事をするとか
通勤日記そのものはともかく関係したことをやると、ここまでつらくならないかもしれない。