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日々の泡

いろんなものの習慣付けに使うブログ。ブログ名は頻繁に変わります

「自分のやりたいこととはなんだろう」

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今日のテーマは「自分のやりたいこととはなんだろう」

思えば、小学生の頃から「本当にやりたいこと」をつきつけられる人生だ。

 

ついついやってしまうこと、意識せずにやってしまうことこそ本当にやりたいこと

つまり、おいしいものを食べて、だらだら眠ることこそわたしのやりたいことではないかと思い実践してきた。

でも、結果として丸みを帯びた体になり、息が上がりやすい体質になっただけだった。

このままやりたいことを続けていくと、わたしはどんどん健康体ではなくなっていく

 

本当に痩せたくないから、太る。

わたしは痩せたいという明確な理由がない。
次点で健康のために痩せたほうがいいわけだけど、長生きしたいという願望もそんなにない。

 

つまり、生きていたくない

なんか確かに思春期の頃からやりたかたったのはそれかもしれない。
なんかわりとどうでもいいと思ってなくもない。

 

でも、実行していないのは何故か

実行して楽になる保証がなにもないから、というのがある。

たとえば、死というのは次のイベントへいくフラグでしかなくて、自殺することによって「イベントスキップ」みたいなもので、死んだ途端により過酷な状況にいく可能性もある。

 

ようするに、よくわからない状況に向かっている。

先祖代々、生きとし生けるもの皆、死という概念とよりそってきたけど、結局はよくわかっていない。

 

よくわかんないものの為に生きていくのは間違っている。

「死にたいから」とか「死にたくないから」という目標の立て方は、そもそも「死」というものがよくわかってないのだから、ナンセンスなのかもしれない。

 

地獄とか天国とかいう洗脳。

わたしたちはいいことをすると天国へ。悪いことをすると地獄へ、という強烈な洗脳を受けている。
生きた果てにそういったゴールを想定してる。

 

そもそもゴールなんてない。

目の前にある問題、いつかやりたいことをつぶしていくのが人生なのかもしれない。
それなら洗脳されたまま幸せに生きて、天国にいくのもいいような気がする。

 

洗脳はいつかとける

遅かれ早かれ洗脳はとける、死ぬ直後にとけたらわりと心細いかもしれない。

また日本は宗教の陳腐化が進んできていて、昔ほど天国や地獄についての洗脳が徹底されていない。

 

より強固に狂いたいのかもしれない。

事実は知ることができない。よって事実を糧にして生きていくことは難しい。

自分なりに居心地のいい真実を作り上げて、他人と共有することで、生きやすくする。

でも、それが本当に自分のやりたいことなのかというとまた難しい。