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日々の泡

いろんなものの習慣付けに使うブログ。ブログ名は頻繁に変わります

他人の真似をすること

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他人の真似をしまくっている。

このブログですら友人が「はてなブログいいですよ」というから、さっそく真似してはじめて見たものだ。

何故、他人の真似をするのか。

他人の真似にもいくつか種類がある。
楽しそう、羨ましいと思ってするもの。
みんながそうしてるからなんとなく真似してるもの。


楽しそう、羨ましいと思って真似するもの。

他人が楽しそうにしてると真似したくなる。わたしはとくにゲームとかを楽しそうにプレイしてると、どうしようもなくやりたい衝動にかられて、ハードごと買ってしまったことがある。

おいしいものとかもそう。コンビニで新しく出たお菓子がおいしいと聞くとついつい買ってしまう。


みんながそうしてるから、ついついしてるもの。

これは根深い。日本語をしゃべるとか、服を着るとか。
正確には真似ることではなく、「教育されたこと」といったほうが正しい、

でも、わたしはもう義務教育を終えて自由の身だし、自分の責任の範囲で何をやってもいいのだけど、わりと教育されたことを律儀に守って生きてたりする。

 

教育されたのにやらないこともある

たとえば、手洗いうがいとか、部屋の掃除とか、人に優しくとか、嘘をつかないとかも教育を受けたのに守ってない。

 

昔は違ったことをすると怒られたり、心配された。

たとえば、小学生が「わたしは日本語が嫌いだし、覚えるのが面倒くさいから、これからは家清語で喋ることにする」と宣言して、以降、日本語を一切喋らなかったら、心配され病院につれていくだろう。

ずっと裸でもたぶん同じことが起きる。
違ったことをすると怒られる。怒られてもなおさないとすごい心配をかけることになる。


今はそんなに怒られない。

わたしの友人たちに「日本語はもう古い。俺はこれから家清語でしゃべるわ。『ぺしょぺしょ・りんりん』」とかいっても、友人は離れていくかもしれないが、あまり怒られることはないだろう。

ずっと裸だとやはり友人は限られてくるけど、外に出なければ怒られることはない。


ついついやってしまってることは昔の自分の真似をしてる。

その昔、小さい頃に望まれていたことをそのままやり続けていることが結構ある。

たぶん「まだ使えるから」とか「壊れてないから」とかそんな感じで、親に買ってもらって、もうぼろぼろになったものを、大人になっても使い続けていることが、たくさんある。

 

ずっと同じことを行い続けることはリスクがある。

メディア学者のマクルーハンが予言した通り、今の時代はあらゆるところにメディアが広がり、パラダイムシフトが起きてる。
環境がころころ変わる時代で、「ずっと同じ」はそれだけでリスクがある。

 

他人の真似をすると安心するのは、教育されていた状況と似てるから

「真似をする」というのは自分の判断や責任ではなく、他人の判断や、責任で行動するということ。だからこそ気が楽に実行できる強さがある。

それでも、私からすると、何もしないよりかは何かしてる人の方が好きなので、真似でもいいから動いている人の方が好きかなと思った。

 

今日のゆうさんの挿絵は「子どもにとっては衝撃だと思う」というタイトルだそうです。

何を選択するかが個性の時代であり、庵野秀明なんかは「僕らは結局コラージュしかできないと思うんです」とか言ってて、わたしもそう思うし、個性よりコラージュセンスがものをいう時代なのかなと思います。

だからこそ、またオリジナルが引き立つので、いい時代だと思います!

 

駅に着いたので、また明日