読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々の泡

いろんなものの習慣付けに使うブログ。ブログ名は頻繁に変わります

【ネタバレ】「君の名は。」は震災で引き裂かれた恋人たちの物語。

 

f:id:yes_ks:20161123164947j:plain

本エントリーは「君の名は。」のネタバレ記事となります。

まだ観てない人は注意してください。

 

 

 

 

 

キスもせず、手もつながないのは「君の名は。」が「インターネット恋愛」を描いているから。

恋愛映画だと思って見に行ったら、隕石が落ちて、登場人物の大半が死ぬという度肝をぬく展開だった大ヒットアニメ映画「君の名は。」ですが、なんと手も握らなければ、キスもしません。
なぜ、キスもせず、手もつながないのか、「君の名は。」が「インターネット恋愛」もとい「メディアを通じた恋」を描いている

 

 他人の生活を覗いて、疑似体験しているうちに好きになってしまう。

相手の日記とか、ツイッターとか、考え方とか、ショックを受けたこと、嬉しかったことなどを読んでいると、相手への親近感が増していきます。

今回、二人が恋をする決定的なシーンや、エピソードというのはありません。
お互いの悩みや、生活などを日々を共有していくうちにだんだんとお互いのことを詳しくなって、カウンセリングにおける「恋愛性転移」に近い感じで好きになっていきます。

 

「体の入れ替わり」は「インターネット」の役割をしている。

君の名は。」では体が入れ替わることで、相手の生活を覗くことができます。

体の入れ替わりがインターネットだというポイントは、この入れ替わりが、リアルな夢であり、目が覚めると、どんどん忘れていってしまうという設定。

夢の中では当然のように知っている相手の名前や、通学している学校名、家の住所なども目が覚めた途端、どんどん忘れていってしまいます。

この設定のおかげで、インターネットで相手の日記を読み、その日、何が起きたか、相手がなにを思ったのかは知っているけど、書かれていない詳しい情報についてはわからない、というインターネット特有の距離感が表現できてます。

 

ふたりのやりとりは、すべて携帯電話を通している。

体が入れ替わっている状態というのは、相手のコンテンツを見ている状態。
つまり、日記とか画像投稿を読んでいる状態と似ています。

そのあと、携帯での情報交換は、そのコンテンツを元にしたコミニュケーション、つまり、お互いの日記や画像などの感想をメールに近い形で、文章でのコミニュケーションをしあっています。

 

はじめての「好きだ」という告白も「文字」で行う徹底さ

お互いがはじめて出会ったとき、目の前にいるのに、わざわざ相手の手に「好きだ」と『文字』で告白するシーンがあります。

「ここまできたんだから、直接いえよ!」と思わずつっこみそうになりましたが、でも、このわずらわしさこそ「インターネット恋愛」とか「文通」とかのプラトニックな恋愛の奥ゆかしさであり、これこそが秒速5センチメートルなどでも顕著になった監督のフェチズムなんだと思います。

 

少ないネットの情報から相手の住所を特定させるストーカー行為

体の入れ替わりがなくなって、相手との連絡が途絶えてしまうのは、
インターネットでいうと日記の更新がとまり、メールのやりとりもとれなくなった状態というのと同じです。

そこで主人公はうろ覚えな記憶で、夢の中でみた風景をデッサンして、その絵を頼りにして彼女の身元を探っていくのですが、

これは過去ログを漁り、相手がアップロードした画素数の荒い風景写真一枚を頼りに相手の住所を特定させる行為に相当してます。

なので、結構気持ち悪い行為なんですが、物語が進むと、実は彼女のほうが先に相手の家や、学校を探すというストーカー行為をしていたことがわかるので、男性の犯罪臭がちょっと軽減されています。

 

個人がコンテンツになる時代。コンテンツ同士の恋。

つい最近までコンテンツは、コンテンツを作る専門のプロが作ってました。
主だったメディアが紙やテレビやラジオといった有限なメディアであり、貴重なものだったからです。

でも、今はインターネットという無限のメディアがあるので制限がありません。
誰もがコンテンツになれる時代です。

だから、私たち自身がコンテンツとなり、メディアを通してコミニュケーションをとるようになりました。

恋愛についても、コンテンツに直接ふれるより、
むしろ、メディアを通したもののほうが美しくみえて、思春期のときなんかはとくに恋愛に発展しやすいのではないかと思います。

 

いまどきの恋愛はインターネットから避けられない。

最近、男子高校生に恋愛について相談されることがありました。
なんでも、「同じクラスの好きな娘のツイッターアカウントをフォローしてるけど、他の男子生徒と仲良くしてるのがわかってしまってつらい」と言っていて、
いまどきの恋愛は、何もインターネット恋愛ではなく、同級生との恋愛でも、インターネットがからんでくるんだなぁと、時代の流れを感じました。

 

わたしもネット恋愛をして、音信不通になった女の子を探したことがある。

私は15歳の頃、自分でホームページを作り、インターネットで公開をしていました。
そして、その頃、同じく15歳でホームページを作ってる女の子とインターネットで知り合い、相手のことを猛烈に好きなったことがあります。

しかし、私は15歳にしてフロイト精神分析入門を読んでいたので、この恋愛感情が、お互いの過度な情報共有による一過性のものにすぎないことを理解してもいました。

「今後、高校生、大学生、社会人と、環境が変わっていき、その現実の中で知り合った女の子のことを好きになるだろうし、その子たちと付き合ったほうが健全だから、このインターネットにいる顔もみたことのない女の子については、なるべく相手にしないようにしよう」と恋愛感情を押し殺して毎晩チャットをしたり、頻繁にメールを行っっていました。
具体的にいうと、すごく好きなんだけど、あえて距離を置くような発言をしたり、「インターネットの女には興味ないぜ」とかかっこつけてました。

そんな嫌なやつだったので、無事に音信不通になったのですが、
困ったことに、それから10年たっても彼女より好きだと思える女性は現れないし、彼女への思いも変わることがなかったのです。

 

彼女はもう死んでいた

20歳半ばになっても、今だに彼女が好きだったとき、私は彼女のことを忘れるのを諦めました。

そこでわたしはインターネットで、彼女のフルネームや、今まで聞いた個人情報を思い出しては、色んな検索をして、彼女がいまどこで何をしているのか、連絡する手段はあるのかを調べていきました。
その中で、彼女の友人のブログを発見し、そのブログ記事で彼女が数年前に亡くなったことを知りました。
すごくショックだったし、色んなことをめちゃくちゃ後悔しました。

 

君の名は。」は実際にある話なんじゃないのか。

たとえば、2011年3月11日におきた東日本大震災は、死者15,894人、行方不明者2,562人います。

これだけの人がいたら、インターネットですごい親密な仲だった人が急に連絡がとれなくなって、相手がアップロードした一枚の風景写真を頼りに色々調べてみたら、その風景写真が震災の影響でなくなった風景だと判明して、被害者名簿を調べてみたら相手の名前が載っていた、ということが実際にあっても不思議ではありません。

 

誰とも共有できない悲劇

わたしが彼女が亡くなったと知って一番、ショックだったのは、彼女の葬式に出れなかったことです。

あんだけ仲よかったのに、共通の知り合いとか、現実での接点がないので、葬式にでる資格がないんですね。

すごい好きで、たくさんメールをしたりしたけど、そのやりとも、サービス終了や、携帯や、パソコンの故障などで結構簡単に消えていきます。

大切な人が亡くなったことがわかったけど、共通の知り合いは誰もいないから、話せる相手もいない。

カイ・シデンのミハルとか、南くんの恋人の末路とかにも近いものがあります。


アニメだからできたこと

ネット恋愛の震災による悲劇を、そのままやったら重たくてみれたもんじゃないですが「君の名は。」はこういう実際起こりえる悲劇というのを、うまくアニメ調にアレンジして、コミカルに伝え、その上で、気が遠くなる伏線を回収しつつ、ちゃんとハッピーエンドにまで仕上げてます。

並の人がこの物語を書いたら、たぶん手のひらに「好きだ」と書いたところで、満足して終わっちゃうんじゃないかと思います。

しかし、この映画はそのあと、隕石から全員逃した上に、記憶を全部なくした上で、もう一度、出会うところまで描いてます。

それも最後にコンテンツ同士がメディアを使わず、力づくで現実で再会してます。

この悲劇を覆した「君の名は。」の圧倒的な物語力が、大ヒットの理由になってるのは間違いないと思います。

 

君の名は。」みたいにログを消せることもある。

前述した亡くなった相手については、実はよく調べてみたら、彼女が、自分が死んだ風な嘘のコンテンツをネットに公開していて、それを見た友人が勘違いした、というのが真相で、実際は生きてることがわかりました。

そして、そのあと、なんと相手の方から連絡がきて、私は無事に、愛の告白に成功し、ほんのちょっとだけ付き合ってたこともあります。
(結局、キスもしてないし、手もにぎらないまま破局したんですが)

 

 それでも、人はいつか死ぬ

「好きになったら、とっとと会って、告白しろ」とは言いませんが、照れたり、かっこつけているうちに、もう会えなくなってしまうことって、現実にあるんです。

そして、会えなくなって、それで諦められればいいんですが、それじゃ諦められないってことってのも実際にあって、これは自分では制御不能な部分なんです。

わたしもまあ、結局はそんなにうまく行ってないですが、まずまずはよくやれたほうなんじゃないかと思います。なんといってもまだ生きてます。

だから、映画の最後みたいに、偶然すれ違うことがあって、そのときちゃんと覚えていて、声がかけれたら、きっとそれでいいのだろうと、そんなロマンティックな気持ちにさせてくれた映画「君の名は。」でした。

 

君の名は。 忘れたくない名台詞 31日万年日めくり 2017カレンダー 壁掛け

君の名は。 忘れたくない名台詞 31日万年日めくり 2017カレンダー 壁掛け

 

 

「ひさしぶりだね」と怪獣の胃の中で幼馴染に話しかけられる。

f:id:yes_ks:20160906235319p:plain

「ひさしぶりだね」と怪獣の胃の中で幼馴染に話しかけられる。

それは僕が怪獣に食べられた日のことだった。

怪獣は噛み合わせが悪いのか、はたまた獲物を丸呑みにする習性なのか、僕のことを咀嚼せずに飲み込んだため、僕は無傷で、胃の中へぽちゃんと落ちた。

 

胃の中はまっくらで、食べられた僕はもうおしまいだと思った。

明かりをつける目的で、ポケットからライターと煙草を取り出して、震える手で火をつけた。

ぼっと100円ライターのオレンジ色の炎が怪獣の胃の中を照らしだす。

胃の中はなかなか広さがあった。

僕一人なら余裕で暮らせるし、猫の2匹くらい飼えそうな広さだった。

 

「佐藤くんでしょ? ひさしぶりだね」

 

突然、話しかけられて、僕はびっくりした。

あまりにびっくりして、煙草を口から落としてしまった。それをあわてて、手で掴んだものだから、火傷をした。

 

「大丈夫? ごめんね。脅かすつもりはなかったの。ただ他にも人がいたのが嬉しくて、それに、その人が佐藤だったから、余計に嬉しくて……」

 

僕は突然の展開に動転してしまい、なんて答えていいかわからなかった。

それに目の前にいる女の子の名前が思い出せなかった。

ライターの明かりの、確か小学校の頃、同じクラスだった女の子で……。

そうして、僕は怪獣の胃の中で、女の子の名前を思い出しながら、ゆっくりと溶かされていった。

 

そんなわけでひさしぶりに喫茶店にきて、ブログを書いている

数えてみたら12日ぶりである。

さぼってたというより、忙しくて、これなかった。

帰宅するといつも23時すぎてたし、早く帰れた日はとにかく眠かった。

なんでそんなことになったのか、それはもう眠れなかったからだ。

 

カフェイン、あいつがいけない

喫茶店にくると、24時までコーヒーを飲む。

すると、ベットに入っても眠気がこなくて、眠れるのがだいたい26時頃になってしまう。

わたしは朝8時に目を覚ますので、だいたい6時間睡眠なのだけど、これが何日も続くと、すごい仕事の効率がさがる。

仕事の効率が下がると、帰る時間が遅くなり、また寝る時間が減る。

この前の土日にどっちとも休日出勤したおかげで、ようやく仕事が間に合って、こうやって喫茶店にくる余裕ができた。

余裕がありあまるとろくなことをしないが、余裕がないとなにもできない。

 

Y.I.Mとビーフのジャングルパニックをよく聴いてる。

 


Y.I.Mとビーフのジャングルパニック

 

Y.I.Mとビーフのジャングルパニックと言わず、ビーフファンタシーが、いまわたしの中で空前の大ブームになっており、ずっと聴いてるのだけど、ジャングルパニックのPVを見てたら、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアのデビュー作である「セールスマンの誕生」を思い出して、ああいう人を小馬鹿にしたようなエキセントリックなエイリアン物もいいよなとか思ってたから、たぶん冒頭があんなことになってしまったのだと思う。

故郷から10000光年 (ハヤカワ文庫SF)
 

 

今月はゾンビアナログゲームを作る

ホラーアナログゲームってあまりないし、ホラーゲームを作るのは大変だけど、ホラーアナログゲームならそこそこ簡単に作れるので、作っていきたい。

これは楳図かずお先生が「ホラー漫画が少ないから、ホラー漫画を描けば需要があると思って描いた」というのとちょっと似てる。

 

恐怖への招待 (河出文庫)

恐怖への招待 (河出文庫)

 

 

 

 

ヨッピー氏と、PCデポと、文章の力について

f:id:yes_ks:20160825010831p:plain

文章の力ってすごいなぁ

bylines.news.yahoo.co.jp

この記事の影響力と、この記事を書いたのがオモコロライターであるヨッピー氏だったのがすげえなぁと思った話。

 

インターネットや回線系のサービスは詐欺ばっかり

携帯電話とかインターネット回線を契約するときって、なぜか知らないけど、必ず詐欺ってくるイメージがあって、

たとえば「iPhone無料!!」とか書いてあるので話を聞いてみると、無料でもなんでもなく、ただのローン組みだったり、「このオプションは一ヶ月無料です!」とかいって「いらないので最初から外してください」っていっても強制的につけられ、わざわざあとからオプション外さないと追加料金を払わせられたりとか、お客のことをあまり考えてない詐欺まがいのサービスが多い。

 

PCデポにかぎらず、DoCoMoauSoftBankも同じ。

PCデポは行き過ぎてしまっただけで、方向性自体は他の会社とだいたい同じなんだと思う。

働いてる側も、お客のほうも、なんかおかしいと思ってたんだけど、「数年に一回くらいのやりとりだし、まあいっか」と、ずーっと、ごまかしたり、我慢してり、忘れたりしたところ、どんどん過剰になっていき、ヨッピーさんの記事から抜粋するところの

父親認知症になったことがそもそも悲しいのに、その上でこうやって良いようにカモにされてしまって悔しい」

という多くの人が共感しやすい悲劇の物語が誕生して、それが大きな力をもって、はっきりと問題視された、という感じがした。

 

人類は騙されやすく、我慢強い

「なんか変だな」「おかしいな」と思いつつ、ずるずる続いてしまうことはたくさんあって、たとえば、インド料理の給料未払い事件があったけど、賃金が2年間も支払われてないって、かなりきつかったはずなので、もっと早く問題になってもよかったのに、従業員たちが我慢強かったのか、そういう逆境でも働いていけるなんらかの才能があった為に2年間も続いてしまった。

www.j-cast.com

 

パソコンがない為、母からキーボードだけ買ってもらった時に貧困に気づいた女子校生とか

mainichi.jp

「貧困女子高生」については色んな要素が絡み合ってて面倒くさいけど、とりあえず、この女子高生はパソコンがほしいのに買ってもらえず、キーボードだけ渡された時、ちゃんと騙されず、「変だな」と気づいて、自分の貧困を発見できた。

「キーボード買ってくれたお母さんありがとう」で終わってしまい、貧困に気づかない可能性だってあったんじゃないんだろうか。

 

裸の王様を認知するのは果たして幸福か

なんでも気づけばいいというわけではなく、たとえば、王様という権威が「バカには見えない服」を着込んだとき、その正体を見破ってしまう人は幸福なのだろうか。

童話の中では子どもが王様が裸なことを大声で指摘するが、もし、最初に発見したのが大人だったら、疑心暗鬼におちいり、ちょっとしたホラーになったりするのではないだろうか。

ダーウィンが人は猿から進化したという「種の起源」を発見しても、命の危険性すらあるため、なかなか発表できなかったように、

自分がこの発見さえ見逃せば、すべてが丸く収まる場合もあるかもしれない。

 

完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)

完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)

 

 

言葉は認知を共有できる

言葉は裸の王様に服を着せることもできるし、高価な服をきた王様の服を脱がすこともできる。

これは、難しいことではなく、子どもが「王様は裸だ!」と無邪気に笑えば、服は消え、ペテン師が「バカには見えない服です」といえば服ができる。

この服が出たり、消えたりするのは、童話の世界だけの出来事ではなく、現社会でも実際に起きて、大変な影響を与えていて

例えば、ヨッピー氏がPCデポのサービスは詐欺まがいだという記事を書けば、PCデポの株価は激減するし、PCデポがインターネットに詳しくない人々をターゲットにして、うまくサービスを展開すれば業績が伸びて株価があがる。

 

ヨッピー氏が「貸した」文章力の強さ

 ヨッピー氏はプロフィールにもあるように「基本的にはIQの低い記事を量産している」ライターであり、別にIT系ライターでもないし、消費者被害を救済するライターでもないし、ブログの冒頭でもあるように、普段は主にインターネットで風俗の話などをしているライターである。

今回、こういった記事を書いたのはTwitterで「力を貸して欲しい」とお願いされたからだそうだ。

専門でもない分野だけど、なんか困ってる人がいるから「力を貸した」結果、こういった記事ができあがって、社会に強い影響を与えてるって結果がすごい。

ヨッピー氏から、王様を衣服を剥ぎ取る力を感じたので、「文章の力ってすげえな」と再認識した1日でした。

 

あいうえおのき―ちからをあわせたもじたちのはなし

あいうえおのき―ちからをあわせたもじたちのはなし

 

 

セルフイメージと、シン・ゴジラと、いま、会いにゆきますと、市川実和子。

f:id:yes_ks:20160822014355p:plain

セルフイメージが下がる1日。

セルフイメージとは、簡単にいうと「自分が抱いている人間というイメージの中間点」のことで、人間はだいたい自分のことを、人類の標準だと考える癖があるらしく、

つまるところ、とくに特筆するようなことがなければ「自分は不幸でもなく、幸福でもない」と考え「総合的にみれば、自分は優れてもないが、劣ってもいない」と考えるらしい。

周りにいる人間や、クラスメートや、職場の人間の中間地点、また、これにはテレビのニュースや、ドラマといった虚像が含まれることもある。

良い人ばかり知ってれば、自分も良い人よりになるし、悪い人ばかりみてれば悪い人よりになるけど 、まあ、だいたい人は良い人も悪い人も知ってるので、良いときがあったり、悪いときがあったりする。

 

セルフだけにとどまらず、色んなイメージにも同じことが言える。

たとえば、あなたがシンゴジラをみて「まあまあ、おもしろかった」と思う。

一緒にみた人は「すごくおもしろかった」という、他の友達は「死ぬほどおもしろかった」という。

 

あなたのイメージの中で、シンゴジラ

「死ぬほどおもしろかった」「すごくおもしろかった」「まあまあおもしろかった」がそれぞれ33パーセントくらいで、自分は「まあまあ」しか楽しめなかったけど、文句なしの最高傑作かもしれない映画になる。

 

けど、そこに性格の悪い人がやってきて

「シンゴジラはおもしろくない。あれは低レベルのパクり映画だよ。俺には映画業界の知り合いがいるんだけど、みんなシンゴジラはクソ映画だといっていた。これって映画好きには常識だよ」とあなたに伝える。

すると、それまでシンゴジラは「文句なしの最高傑作」かもしれないというイメージがガラガラと崩れ落ち「映画好きからするとクソ映画だけど、一部の教養のない一般人には人気の高い作品」になってしまう。

 

水を差すひとこと

「セルフイメージをさげる」に近い言葉で、「水を差す」というのがある。

「水を差す」の意味は「仲のいい者どうしや、うまく進行している事などに、わきから邪魔をする」ということだけど、

たとえば、「この本、めっちゃおもしろい!」って言ってる人に対して「その本は◯◯のパクりだよ」とかコメントしたり、「その作者、ファンを食うことで有名なんだよ」といってみたりするのも、水をさす(イメージをさげる)言葉になる。

その情報、必要か?と思うし、ひどい場合は、その水を差した情報が嘘の情報だったりする。そうなるともうただの嫌がらせになってしまう。

 

インターネットや、テレビはそんな情報ばっかり

炎上事件とか、スキャンダルというのはだいたい何かのイメージを下げるもので構成されている。

最近は検証しやすくなった為に、情報の虚偽が指摘されたり、それを指摘するために、対象のイメージをうんとさげてみたり、まあ、混沌としてる。

ニュースメディアの中には価値観を上下させるだけもので、本質が何もない場合もある。

 

私も「水をさす」ことがある。

最近、気づいたけど、私はわざわざつまんない作品の話題をしたり、人の悪口をいったりはしないけど、自分がやりたくないことや、見たくないものを勧められると、その理由をはっきり述べて、拒否することがある。

たとえば「この映画を見てください!」と言われ、それが見たくない映画だと、見たくない理由を3つくらいいって断る。

でも、誘ってきてくれた人は、それが好きだから薦めてくるわけであって、

その映画は「その人の中の最高の作品」だったかもしれない。

なのに、私はそれを見てもないのに「テーマが低俗そうだから見たくない」とか言って断る。

ひどいときは「私はあなたより、映画も小説も漫画もゲームもいろんなジャンルに精通してて、自分の好みをちゃんとよく理解してるからわかるけど、この映画はクソだと思うからみたくない」とか言う。

たぶん、言われた相手からすると、好意から軽く誘っただけなのに、なんかすごい嫌なことを言われて、ひどい気分になると思う。

 

今日のユーモア

togetter.com

 

ちょっと性格の悪い笑いだけど、この炎上ツイートの一連がおもしろかったので、紹介。

まあ、シンゴジラについての個人的感想を漫画で表現したものなんだけど、
この作者がツイートを消して、謝罪を行っても、

「先生、映画の評価はそれぞれだと思いますし、先生がなされた評価に対しても堂々とされているといいと思います!」

とか言われて、削除したはずの画像が再アップされる流れがひどすぎて、笑ってしまった。

 

下手に表現力が高いと大変なことになる

シンゴジラが期待ほどじゃなかったとしても、表現力が普通程度なら「シンゴジラ、期待ほどだけじゃなかった」とつぶやいて終わるのだから、誰のイメージもさげることない。

しかし、この先生みたいにプロ漫画家の表現力があると、上記のツイートのように、表現として凄まじい威力をもち、みんなのイメージを変えてしまう。

変えてしまうからこそ、それを阻止するべく、他の人がよってたかってやっつけにくる、という図式である。

 

いま、会いにゆきます」は「中トロ」なのか

 

いま、会いにゆきます
 

 

最初は「この人、映画をあまりみない人なのかな」と思ったんだけど、「いま、会いにゆきます」と「シン・ゴジラ」には市川実和子が出演してるという共通点があることを思い出した。

どちらも準ヒロインみたいな役どころで、それを市川実和子が見事に演じ切ってるのだけど、「シン・ゴジラ」の市川実和子は、化粧をしてない素朴さが魅力となってる。つまり、素材そのままの白米状態。

対する「いま、会いにゆきます」の市川実和子は、サブキャラクターだけど最終的には主人公の再婚相手になることを匂わせる女性としての魅力がちゃんと備わった役どころになっていて、中トロと呼べなくもない

つまり、藤島じゅん先生の漫画で描かれていた比喩は、映画に対するものではなく、登場する女性キャラクターに向けられたものだったんだよ!!

 

朝から寿司を食べても人生は変わらない

f:id:yes_ks:20160821011225p:plain

おひさしぶりです。

さぼってたというよりかは、別のことしてたんですが、ひと段落ついたので、またブログというか、喫茶店通いを再開します。

朝から寿司を食べても人生は変わらない

この前、休日になんか休日らしいことしたくて、朝から寿司を食べたんだけど、別になにも楽しくなかったことを思い出してる。

「よし、朝から寿司を食べるぞ」と思った瞬間が一番楽しくて、そのあとはもう下り坂だった。

値段がどうこうとか、味がどうこうではなくて、なんかこうただ食べて、それだけだった。

 

おそらく毎日寿司を食べても人生は変わらない

お金持ちになったら、お寿司を毎日食べたいと思っていた。

「毎日食べても飽きない豪華なもの」の答えはお寿司だったからだ。

ネタがいっぱいあるから飽きないし、完璧なプランだと思えたが、たぶんお金持ちになっても毎日お寿司を食べることはないだろう。

「だからなんだ」という話だけど、自分の本当にしたいことってなんだろうと考えさせられる一件だった。

とりあえず、「僕はお寿司を食べるためには生きれない」というのがわかった。これはお寿司だけじゃなく、他の食べ物に置き換えてもそうだろう。

私は何かを食べるために生きてるわけではないらしい。

 

でも、別に愛の為に生きているわけでもないし

ひとりだから問題なのだろうか

恋人と朝から寿司を食べたとしたらどうだったろう。

たとえば、朝から恋人が「お寿司を食べたい」という、そこで僕がやれやれと村上春樹風にさっとお寿司を食べれる場所を見つけ出して、朝からお寿司を食べる。

お寿司を食べた恋人は、一応、喜びはするけど、明らかに「これではない」という顔をしてる。

そのとき、たぶん僕はイライラするのではないだろうか。

「そもそも、朝ごはんなんか食べなくたっても死なないんだよ!」

とかいいそう。

 

愛に関する遺伝子

今日、寝起きにiPhoneでゲームをやりながら、ぼーっと聞いてたラジオによれば、

この世には一夫一妻の遺伝子と、乱交の遺伝子があるらしい。

動物の中でも、珍しく一夫一妻で生きるプレーリーハタネズミを調べたら、神経伝達物質であるオキシトシンバソプレシンが他のネズミより多いことがわかって、

試しに乱交で生活してきた他の種類のハタネズミにオキシトシンバソプレシンを注射したら、なんと一夫一妻制になったらしい。

 

愛に関する実験

一夫一妻とは具体的にどういうことかというと、

ゲージの中に、オスメスをいれててセックスをさせ、そのあと、別のメスに入れ替えたらセックスするかどうか実験して、セックスしなかったら一夫一妻なんだそうだ。

プレーリーハタネズミと、オキシトシンバソプレシンを注射されたハタネズミはメスを取り替えられたらセックスはしない。

注射されていないハタネズミを含めた、他の多くの動物はセックスをするらしい。

人類にこの実験をしたら、たぶんセックスする個体もでてくるので、人類は別に一夫一妻制の動物ではない、といえる。

まあ、つまり、浮気する人は遺伝子らしいし、浮気が嫌いなのも遺伝子らしい。

 

お兄ちゃん、起きて!

まあ、朝から寿司がダメなら、朝から恋人といちゃいちゃするのもダメだろう。

そもそも朝に期待しすぎなのかもしれない。

でも、急にアニメやゲームの世界に迷い込んで「お兄ちゃん、おきて!」みたいな展開の朝だったらどうだろうか。

そして、「(これなんてエロゲ?)」と起きてみたら、虫になっているというドイツ小説みたいな展開はどうだろう。

確かに人生は変わるだろうが、だからなんだっていうのだろうか。

 

 

ネズミの話は中野信子さんが話していた

 わたしはテレビをみてないので、よく知らないけど、よくテレビに出てる人らしい。そういえば、ジェーンスーさんのラジオでゲストに来てた気がする。

読みやすそうなので、ちょっと興味でてきた。そのうち何冊か読むことになるかもしれない。

 

今日のユーモア

【悲報】配属されたばかりの新卒が、課長(外出からそのままノーリターン)宛てに
かかってきた電話を取って「申し訳ございません、本日○○は帰らぬ人になりまして」と応答

最近、全然笑ってなかったし、とくにユーモアのあるツイートも見つけてなかったので、以下のサイトみて、ふっふっふと笑ってしまったのがこれ。

matome.naver.jp

 

 【悲報】配属されたばかりの新卒が、課長(外出からそのままノーリターン)宛てに

かかってきた電話を取って「申し訳ございません、本日◯◯は帰らぬ人になりまして」と応答。

 

私も会社で電話をとるんだけど、ビジネス会話苦手なので「◯◯は本日は退社しておりまして」を「◯◯はすでに退社しておりまして」といって、周りをびびらせたことがあります。

間違ってないからいいじゃんと思うんですが、思わない人もたくさんいるのがこの世のきびしさです。

六連休の過ごし方と世界の終わり

f:id:yes_ks:20160810234331p:plain

明日から六連休

こんなに長い休みをもらうのは、学生時代と無職時代を除けば初めてかもしれない。

そんなわけでコーヒーをガバガバ飲みながらこれを書いている。

 

おやすみはどこかへでかけるんですか?

休みというと、よく聞かれるのが「どこかへでかけるのですか?」という質問。

「どこへもでかけない」と答えると、質問した相手はどこか悲しそうな顔をして「どこかへでかければいいのに」と言う、一体どこへ出かければいいっていうんだ。

 

休みの日は家にこもるのが至高。

ゲームだってインターネットだって映画だってみれるし、家にこもって困ることはない。だいたい私みたいな多趣味な人間は休みの日を使って、雑誌とか、小説とか、ゲームを作ったりして忙しい。どこかに出かける暇なんてないし、だいたいどこへでかけたって、自分がやるべきことから逃げてる気がして楽しくない。

創作しろ、世界を変えろ、という呪縛からは新幹線とか飛行機に乗ったくらいで逃れるものではない。

 

旅行は自分じゃ何もできないから苦手

最近わかったんだけど、私は自分が参加せず、ただ楽しむだけのものは苦手だ。

だから、自分の出店側ではない祭とか、スポーツはともかく、スポーツ観戦が苦手。

文化祭とかも自分でお店とか展示やってないと寂しくなる。ライブとかも聞いてるだけになのでつらい。

楽しんでいる人たちをみるとより、ぜんぜん楽しめない自分にいらだって、どんどん疎外感が酷くなる。

旅行もただ観光するだけになるとつらい。

なんか役割がないとダメらしい。

ライブもチケットもぎりとか、警備員とか、ビール注ぎとかやらせてもらえれば楽しめるし、旅行もたぶんガイドとか取材とか仕事としていくと楽しめるんだろうなと思う。

どうも、そういう性分らしい。

 

一人で楽しめるものはなぜか楽しめる

ただ、一つ疑問があって、スポーツ観戦や、ライブは苦手だけど、映画とか小説とか漫画とかゲームは楽しめる。

単純に周りとあわせて、楽しむのが苦手なのかもしれない。

楽しませる側に回ってれば、自分が楽しむ必要はないからとか、理由はいくつか考えられるけど、どれもピンとこない。

心理学に詳しい人とか読んでたら、これがどういう心境によるものなのか教えて欲しい。

 

世界が終わるゲームを作る

キリスト教の神さまは6日間で世界を作ったそうだ。
だから、私が6日間でゲームを作ることはたやすい。

なお、キリスト教の神さまは次の日休んだそうだが、私は次の日仕事だし、6日目になる16日には、友人を呼んで、私の作ったゲームを遊んでもらう約束をしているので、かなり崖っぷりになっている。

 

今日のユーモア

dic.nicovideo.jp

 

今日は特別おもしろいツイートがなかったので、ちょっと古いし、マニアックだけど、「理想のテンポ」を考察していきたい。

 

今のFF14の戦闘テンポ

ブン・・・・・・・・ブン・・・・・・・・ブン・・・・・・・・

 

理想のテンポ

シェイシェイハ!!シェイハッ!!シェシェイ!!ハァーッシェイ!!

 

 

簡単にいうと、FF14の戦闘テンポについての不満と、理想を擬音で表現した2chへの書き込みで、

おそらく普通の人だったら

「今のFF14の戦闘テンポは、退屈だし、単調。もっとスピード感やメリハリがほしい!」

と書き込むところを、

 

この人はなぜか

 

今のFF14の戦闘テンポ

ブン・・・・・・・・ブン・・・・・・・・・ブン・・・・・・・・

 

理想のテンポ

シェイシェイハ!!シェイハッ!!シェシェイ!!ハァーッシェイ!!

 

と書き込んだ。天才である。

私はFF14をプレイしたことはなく、このネタは当時FF14をプレイしていた会社の先輩に教えてもらったものだけど、話をきいたとき、今のFF14の戦闘がどれだけ退屈で、そして、この人がどんな戦闘を求めているかいっぱつでわかった。

 

まず「ブン・・・・・・・・」のくだりの憂鬱そうな感じ、湿気の多い夜の10時くらい曇り空の下、家の前で、特に向上心もなく、バットのすぶりをしてる感じ。

それに比べて、理想のテンポである「シェイシェイハ!!」の機敏さ、ハイテンションさ、これだけでおもしろいのに、さらにたたみかけるように、「シェイハッ!!シェシェイ!!」とステップを効かせた連続コンボを決めてくる。

多段ヒットを喰らいグラグラときている隙に最後の「ハァーッシェイ!!」でとどめをさす。

もちろん、この「ハァーッ」の部分は力を溜めていることを表現している。そして、最後の「シェイ!!」で解放である。

「力みなくして解放のカタルシスはありえねェ…」という範馬勇次郎の声が聞こえてきそうなラストだ。

 

文字数は100文字以下、2chの文字制限はほとんどないに等しいのに、この短さ。そしてこの表現力。

俳句なんかよりはるかに豊かなものを私はこの書き込みに感じた。まぎれもない名文である。

 

 

ねむみを感じてつらみが高まりまる。

f:id:yes_ks:20160809231921p:plain

眠かった

眠かったというのも、最近寝付けなくて、遅くまで起きていた。

全然眠くならないので、俺はなんか悩み事があったり、精神的にストレスを抱え込んでいるのかと不安になったが、よく考えたら今月に入ってから、深夜にコーヒーをがぶがぶ飲んでブログを書いていることを思い出した。

コーヒーだ! こいつのせいで寝れなかった。

そんなわけで、今日はコーラを飲んでる。

 

今日のユーモア

 

「冴えるハーブと緑茶」の味をドラマ仕立てで表現したこちらのツイートが、4日間くらい頭から離れず、 コンビニを何軒か回って購入することとなった。

ここまでくると「おもしろい」を超えて、驚異だ。

とんでもないコピーライトだと思う。これテレビCMでやったらとんでもなく流行ったんじゃないかと思う。

 

「仲間が毒矢を受けたんだ」

「村のシャーマンの作る薬ならなんとかもしれん」

ゴクゴクゴフォ

「そいつを全部飲ませておけ。3日もすれば熱も下がる」

「信じられん 助からないと言われたのに」

「自然に感謝しろ」

みたいな味がする

 

文字数は驚異の115文字。画像を添付するのに25文字使うので、きっかり140文字を使いきったツイートになる。

私もTwitterはよくやるほうだけど、こんな広い世界観描写を140文字でやろうという気にならない。

でも、140文字で表現できてしまうんだなと驚く。

前回紹介したのも会話形式なので、私もツイートを会話形式に変えていく必要があるのかもしれない。

 

キリン 世界のKitchenから 冴えるハーブと緑茶 500ml×24本

キリン 世界のKitchenから 冴えるハーブと緑茶 500ml×24本

 

 ちなみに味のほうは苦いけど、癖になる、そんな味でした。

 

読書会をやることになった。

第1回 kindleunlimited読書会

⬆︎facebookページにとびます。

これから毎月、新宿で「kindle unlimitrd」を使った読書会をやることになりました。
詳細とかルールなどはまた後日説明しますが、基本的には「スマフォ禁止にして、もくもく読書。そのあと喋ったり、軽く飲んだりする会」みたいな、ちょっとゆるめの読書会を予定しております。
月に1度の情報交換会をやって、読書や生活のモチベーションをあげたりできれば良いなと考えております。
場所はピーネハウス新宿です。これまた魅力的なコミニュティースペースなので、ピーネハウス新宿を見学にきたい人とかもお気軽にご参加ください。

こんな感じの会です。

正直、集客難しいと思うんだけど、まあ、ゆっくりやっていこうかなと。

 

リュウヤさんについて

今回、新しいコミニュティーを作るに当たって、スタートメンバーがリュウヤさんという先輩なんだけど、この人がとんでもないというか、結論でいうと私も同じ行動をとることになることがあるんだけど、行動原理が僕と全然違うのでおもしろい。

たとえば、今回、二人が一緒に読書会を運営することになったのは、まず「読書したい」という目的が合致していたこと。

そして、リュウヤさんも、僕も、コミニティーを作って、人を巻き込むことで、より楽に効率的にものごと達成させたり、持続させる成功体験んを持ってるので、読書するならば、読書するコミニティーを作るのがいいと思っている。

ここまで意見や、目的が合致してる。

スタンスの違い

大きく違ってくるのは本からどうやって知識を得るか、で

リュウヤさんは本から知識が吸収できればなんでもいいと思ってるので、おそらく最終的な目的は、読書好きでかつ、説明がうまい友人を増やし、自分で本を読まなくても、本の知識を得ることに成功させること。

対して、私は自分で読まないと意味がないと思ってるので、コミニュティーに属することで、おもしろい本をいいタイミング知って楽しく読書したい、とか、読書できる自分になるために、読書方法を共有したいとかそういったことを考えている。

結局のところ、読書好きの人を集めて、その人たちを大事にすることは変わらないし、お互い本からいろいろな知識を学ぶんだろうけど、スタンスが全然違っておもしろい。